真ん中のことば いすみ×えんげき
今日はいよいよ、いすみ×えんげきが始まって以来、初めてのカフェトーク開催です!!!
カフェトークの前に、頭も気持ちもいろいろ整理したいなあと思って
愛用しているノートを開いてみると
一気に懐かしい風が吹き込んできました。

2018年の夏。暑い夏の時期に涼しいカフェに入って無我夢中で書いたページです。
いすみ×えんげきがスタートするかもしれない!という大事な決戦の日に、
自分がやりたいと思っていること、伝えるとしたらどうやって伝えられるだろう?
と書いたのがこのページでした。
このときのタイトルは、いすみ×えんげき(仮)でした。
自分の中の、まだ妄想のような世界を伝えることは、なかなかドキドキです!
けど、なぜか「絶対できる気がする」という
確信みたいなものがしっかりとおなかの奥底にはあって。
自分にとって、いすみ×えんげきプロジェクトは
「やらずに死んだら絶対後悔する」レベルの(笑)
どうしてもどうしてもやりたいことでした。
自分の人生にとってきっとどんなに避けても逃げれないし
ああ、今がその時なんだ。と感じました。
それくらいカラダの奥底から湧き上がってくるような
じぶんを動かす原動力みたいなものがありました。
こんなことを想って、はじめました。

このプロジェクトを通して、やってみたいこと、素直に書いていきました。
自分の中にある表現がもっともっと立体的に、色がついたり、広がっていったりするイメージでした。
私自身、まわりの環境に「表現しにくいなあ」と思っていたのかもしれません。
それは「生きにくいなあ」と同じような感覚。
ありのままの自分の表現が、自由にできたらいいなあ、とそこが出発点でした。
表現っていうのは、極端に言ってしまえば、
「自作自演のえんげき作品をつくること」も表現であるし
「その場で無口であること」も表現なのだと思っています。
いろ~んな人がいる中で、それぞれが多様な表現を常にしながら生きていて
それが自然なかたちで出せる世界であればいいなと思いました。
抑え込んだり、ないものにしてしまったりせずに。
「じぶんが自分であること」をありのまま受け入れて、楽しむ。
そう楽しんでいる人の姿は「くう~!!!」となりますね。見ていて、一緒に心が躍るというか、
いいねいいね!ってなりますね。
凸凹の中で生きる、自分でありたい。

自分の凸凹を受け入れる。
相手の凸凹を受け入れる。
これは、かなり大変だと思うのです。
けれど、少しずつ、少しずつ、変化のプロセスを共有しあいながら
一緒に世界をつくれる仲間がいたら
どんなに毎日が心強くて、鮮やかで、輝くだろう!
そんなイメージを持っていました。
いやはや、これはなかなか修行なのです。
直感!えんげきで、出来そう!
そう、ここまで来て、
「じゃあ、なんでえんげきなの?」って、当たり前のような質問が飛んできそうですが
答えは、「直感!」なんです。(笑)
たまたま、えんげきをする機会があって
まず単純に「やってみたいなあ!」と思ったということ。
初めて「えんげき」をしたときに
ああ、これは魔法だ!と思って、なんだか一気に世界が鮮やかに見えて。
えんげきを初めてするばりばりの初心者で、もちろん本番中に感動して泣いちゃうは
セリフもいろいろ抜かしちゃうわで大変だったのですが。(笑)

同時に、この時に感じた魔法だ!は、日常の延長線上にあるような気がしたんです。
思い入れのある古民家が舞台だったそのえんげきは、たしかに日常の中に存在していました。
ああ、わたしたちの人生はドラマなんだなあ
日常にもたっくさんの心動かせれる瞬間があって
それをわたしたちはなんの練習もせずに当たり前にやっていることに
「え、これ、すごいかも。」
まるで大発見をしてしまったかのような気持ちになったのを覚えています。
いすみ×えんげきの真ん中
原点を振り返ってみました。
けれど、いつもこの想いが、心の真ん中にスッとあります。
このコンセプトを軸として
たくさんのおもしろい人たちの「いすみ×えんげきでやりたいこと」とコラボして
さまざまな企画が立ち上がります。
けど、中心はこの想いです。
最後に大好きなインドの哲学者
サティシュクマールからインスピレーションを受けた言葉を引用します。
「社会は往々にして、一人一人を無力で無能な存在として軽視したり、無視したりする。
そしてその否定的なイメージを押しつけ、権力をもつものに依存させようとするのです。
わたしたちは本来誰もがアーティストなのです。」
ーサティシュクマール
いよいよ本日!カフェトークの詳細はこちらから!